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Channel: GIPSY☆TOSHI♭\(∂_∂)/♯の「る・る・る♪」(笑える・学べる・タメになる)
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【小説】 「花火」~パッと咲いて空に咲いて教育実習の恋は二月堂の思い出と共に利己と利他を残した~

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彼女は急に僕の前に現れた。朝から太陽が照りつける7月のその日、ワンピースの裾を軽やかに翻して彼女はバスを降りて僕の前に立った。
「ひさしぶり~。トシ君も教員免許、取るんや♪」
「えっ…」
いきなり名前を呼ばれて僕はたぶん目を丸くしていたと思う。それほどリコは変わっていた。

高校時代は目立たない女の子だった。運動部で活躍するわけでもなく、勉強ができるわけでもなかった。どちらかと言うとイケてない女の子のグループにいた。グループの中で、典子を略して「リコ、リコ」と呼ばれてたことが僕が彼女について知っている情報のすべてだった。人懐っこい笑顔は可愛いかったが、それは子犬が可愛いというのと同じ意味だった。卒業から3年あまりが過ぎ、子犬は花のある女性へと変身していた。バス停から学校までの5分間、何を話したかあまり覚えていない。それほど僕は舞い上がっていたのだと思う。叶わなかったとは言え、サーシャとの恋愛でそれなりに経験を積んでいたから、女性に対して臆したり、逆に惚れっぽくなったりすることはなかったが、自分が知っている女の子が大人になっていることに見てはいけないものを見たような気恥しさを覚えた。サーシャとの経験がリコの中の女性を想像させたのだろう。その意味では僕も大人になっていた。
「今日から2週間、頑張ろね♪」
僕は現実に引き戻された。


1.バス停での出会い


教員免許を取るには大学の所属学部での数科目と教育学部での教育学、教育心理学、教科教育法の単位を取る必要がある。所属学部での科目は卒業に必要な単位と共通だから普通に取っているし、教育関連の教育心理学と教育学は文系理系共通の基礎科目の単位、たとえば心理学などで代用できるから、結構、たやすく教員免許を取ることができる。教員として採用されるのは狭き門だが、ペーパードライバーならぬペーパーティーチャーは掃いて捨てるほどいる。自分で言うのも何だが、昨今の教師の質の低下は誰でも免許が取れることと無関係ではないだろう。さらに裏事情を明かせば、教員採用は成績や面接だけでなく地方ではコネで決まることが多い。一年間に教員採用試験を受ける学生はかなりの数にのぼるため、これという学生をピックアップするのは実際、難しい。かと言って、テストの成績だけで合格を決めることは好ましくない。テストの点数が高い学生が良い教師になるわけではないという事実を錦の御旗にして、「あの学生は誰々先生の知り合いだから」とか、「この学生は(連綿と続く)どこどこの教育大出身だから」という理由で教員が採用される。採用に至らない場合でも、地域教育界の有力者の息がかかった学生をとりあえず非常勤講師として学校に潜り込ませ、正式採用の足掛かりを作らせる。一種の不正だが、不正を働かない圧倒的多数の学生が不合格になるのだから露見することはあまりない。

サーシャとの恋愛に破れ、将来のために猛勉強を始めた僕だったが、コネを探してまで高校教師になるつもりはさらさらなかった。単位を揃えるのが簡単だからという理由と、アルバイトで「先生」と呼ばれて既に3年が過ぎていて改めて準備をする必要がないからという理由で教育実習を受けることにした。単位が揃っていたのは理科(物理、化学、生物、地学)と数学(微積分、線形代数、確率統計、複素関数論)の両方だったが、予備校内の個別指導で数学を教えていた流れで教育実習は数学で受けることにした。理科免許を取る場合でも実習は数学で良い。家庭教師で英語を教えていたから英語が楽だったが、理系の免許を取るのに英語はさすがに憚られた。



そんな僕のゆるい教育実習が始まった。高校の教育実習を修了するには10日間で60時間の研修が必要だが(中学校は4週間で120時間)、1日6時間のうち実際の授業を行なうのは1時間か2時間だった。教育職員免許法では4時間の実習と2時間の担当教諭からの指導を受けることになっているが、大学生に1日4時間も授業をさせたら学級崩壊が起こる。1~2時間だけ授業をさせ、残りの4~5時間で担当教諭が実習生を指導していたら今度は教諭の授業が崩壊する。そんなわけで1日2~3時間の現場仕事の残りは、授業内容予習、授業計画策定、資料作成など授業準備、宿題などの提出物の採点、授業の反省に充てることになる。というのは建前で、高校の授業内容を改めて予習しないといけない大学生はいないし(教科書のどこを授業でやるか見ておけばよい)、計画は頭の中にあるとして省略できるし、授業に準備が必要なのは理科実験くらいだった。宿題は出さない方が生徒に喜ばれるし、どんなに真面目に「反省」しても30分もかからなかったりする。そんなわけで1日6時間のうち実働は3時間くらいだった。ゆるい教育実習は僕だけではなかった。

実習生のほとんどは顔見知りだった。同じ高校の卒業生だから当たり前である。高校と関係のある大学からも卒業生以外の学生が参加するが、高校の上に大学が設置されている私学でない限り、顔見知りでない実習生は圧倒的に少数派だった。そんな外様の学生は実習生控室で真面目に授業の準備をしていたようだが、同じ高校の卒業生を集めて暇を与えると「同窓会」が始まるのは火を見るよりも明らかだった。高校時代は話をしたことがなかった間柄でも、3年あまりの大学生活で皆それなりに社交性を身につけ、打ち解けるのに時間はかからなかった。

「トシ君、生徒にからかわれてたやん。『高校の時、つきあった子、おらへんかったん?』って聞かれて、ウソついてたやろ。」
「ええやん。変に子供、刺激せんでも。」
「またまたー。聞いてて、よっぽど、『この先生なぁ、毎日、彼女と一緒に帰っててんでー』って言ぅたろか、思たわ。」
「あー、これこれ。」
「せやけど、ともちゃんには1年の終わりにフラレたんやろ。」
「イタタタ。」
「ほんで、3年のとき、さわちゃんにはつきあってももらえへんかってんやろ。」
「…」
「それ、言うたったらかわいそうやでー。」


2.教育実習の同窓会


資料作成などをしている真面目な外様実習生がいると、真面目でない実習生は「同窓会」を開いて邪魔をするほど子供ではない。めいめいそれなりに時間をつぶす。不真面目組の僕は校内を散歩して過ごした。リコも散歩で時間をつぶす派だったようで、たまたま一緒に散歩することがあった。二人とも多くの時間を散歩に充てていたから、一緒になるのは自然だった。

「リコちゃんは国語やねんて。大学は何学部やのん?」
「文学部。トシ君は数学やんなあ。高校時代、数学なんか全然、分からへんかったわぁ。国語かて授業うまくできへんし。」
「せやけど、リコちゃん、生徒に人気あるらしいやん。センセ、センセて男の子が寄って来るて。」
「うん、これが高校のときからやったら良かってんけど。」
「そやったら、僕も寄って行ってたかも知れへんで。」
「またまたー。高校んときは、トシ君、ともちゃんとさわちゃんに夢中て有名やったで。私なんか眼中になかったくせによう言うわ。」
「ま、そらそうや。」
「もー。せやけど、私、トシ君とともちゃん、一緒に帰んの見て羨ましかってん。」
「えっ?」
「あ、ちゃうちゃう。トシ君とつきあってるともちゃんが羨ましかったんやなくて、男の子とつきあってる女の子が羨ましかったっていうこと。」
「なーんや、残念。」
「えっ?」
「えっ?」

教育実習も1週間が終わる頃には僕は自分の気持ちを自覚するようになっていた。一方のリコの気持ちが僕からそう遠くないことも分かった。自分が相手のことが好きでも、相手から何の気配もない場合、恋愛は進まないし、自分の気持ちも深まらない。けれど、相手のことが少し好きなだけでも相手から良い感触が得られると、自分の気持ちは心の奥底に達する。「勝算がある恋愛に積極的になる」と言うと功利的に聞こえるが、恋愛はちょっとした心の傾きから坂道を転がるように速度を増して行く。1週間が終わる頃には、僕はリコを土曜日のデートに誘うくらいの勇気を持っていた。リコがOKする確信があった。



僕とリコの初デートは校内散歩の延長線上にあった。特に気を張ることもなかったが、実習中の大人びたワンピースと違って、アクティブなショートパンツは健康的なリコの一面を見せてくれた。不満と言えば、なぜかリコは犬を連れて来たこと。おとなしくてほどんどバスケットに入ったままだから邪魔ではなかったが、なぜ?
「なんで、犬連れてんのん?」
「ごめーん。お父さん、『犬散歩させることになってたやろ』言うて、デートやねんから連れて行けへん言うても、『絶対に連れて行け』て。ごめんなー。」
リコは父親の意図が分かっていなかったが、男の僕には分かった。要するに年頃の娘に番犬をつけたのだ。娘がおかしなところに連れこまれないようにと。犬がいても行くときは行く。しかし少なくとも抑止力になるからというお父さんの作戦だった。とは言え、僕は鼻からお父さんと勝負するつもりはなく、つまりはリコをどうにかしようというつもりはなく、校内散歩の延長に満足していた。


3.平城旧跡でのリコ


日中は平城旧跡でしゃべり場。その後、旧市街に電車移動して寺社周辺を散策。イベントらしいイベントは必要なかった。しゃべって笑って打ち解けるのにTPOは関係なかった。それでも時間は夕刻になり、場所はお水取りで有名な二月堂の舞台。僕とリコは少し疲れて欄干に顔をつけ、だらけたポーズで向かい合って話をしていた。
「わぁ、トシ君、きれいな夕焼け!」
僕は姿勢を変えるのも面倒でリコの方を見ていた。リコは夕焼けから顔を戻すと自分を見ている僕を見た。何とは無しにリコを見ている僕の10秒。僕の意図を計りかねたリコの10秒。リコの真面目な顔を見つめる僕の10秒。僕とリコは沈黙し、瞳を探り合っていた。欄干に沿って僕が左手を伸ばすとリコは右手を伸ばした。欄干の上で僕たちは手をつないだ。それからどのくらい時間が経っただろう。夕闇の中で僕とリコは唇を重ねていた。


4.二月堂

写真提供: みすりんさん


週が明けると表向きは何ひとつ変わらない実習後半が始まった。相変わらず不定期に開かれる「同窓会」。僕はリコと二人だけの秘密を持ったというほど気持ちを昂ぶらせることは無かったが、他のメンバーより少し成長したような誇らしさを感じた。「空き時間」の校内散歩でリコと一緒になることはあったが、特段、二人の関係を前進させる話をするでもなかった。たかだか1週間の関係は将来を語るには短すぎる。お互い求め合ってマットのある体育倉庫で…というほど非常識でも盲目的でもなかった。1週間が自然に過ぎ、実習の最終日、僕はリコに「次回」を申し込んだ。
「明日とか、明後日とか、時間ある?」
「うーん、ちょっと無理や思う。日曜日はもう向こうに行ってなあかんし、明日はその用意や何やあるから。」
「まあな。僕もおんなじや。2週間も大学離れたらやること溜まってるし。」
「ほな、また連絡するね。」
今後のリコとのつき合いがちょっとした「遠距離」になることをようやく意識した。大げさに言えば、「夢の中」にいた2週間から目を醒まし、僕とリコはそれぞれの「現実」に戻って行った。



「先生」から大学生に戻って1週間、リコから連絡は無かった。女性の「自分から連絡する」が「もう連絡しないからあなたから連絡して来ないで」の意味だという「女の常識」からリコがそうしたとは思わないが、僕から連絡することは憚られた。返事をせっついてウザがられること、返事をせっつかないで大きな魚を逃がすこと、どちらもあり得る。僕は「待ち」に徹した。「ねえねえ、構って、構って」というお子ちゃま感、「構ってちゃん」感をさらして不興を買うのは嫌だったし、少しの間くらい何もしなかったからと言ってリコを失うことはないと信じていた。

大学生活に戻って2週目にリコから手紙が届いた。
「ごめん。トシ君のこと嫌いじゃないけど、こんなに離れてたらつき合っていけないと思う。」
それがリコの出した結論だった。初めから遠距離恋愛をするカップルはほとんどいない。ある程度の期間つき合って二人でいることが当たり前になった後、たまたま距離が離れれば遠距離恋愛が始まる。僕とリコは遠距離恋愛をするには早過ぎた。ぼんやりとこのままつき合って行くだろうと考えていた僕に対して、リコはおそらく現実に戻った1週間でいろいろ考えたのだろう。リコが感じた僕との距離は二人で相談して問題を解決するほど近くなく、かと言って問題を無視するほど遠くなく、ひとりで結論を出すべき距離だった。

リコからの別れの手紙を受け取って、今度は僕がひとりで結論を出す番だった。翻意を求めて押し切るか、彼女の意思を尊重して引き下がるか。「別れたいと思うの」と女性が悩んでいる素振りを見せた場合は「押し」だろうし、「別れることに決めたの」と結論を告げた場合は「引き」だろう。「引き」を選んで「もっと強く言ってくれたら別れなかったのに」と後で知らされる場合もあるし、「押し」を選んで「強引だったから百年の恋も冷めたわ」という場合もある。さらに恋愛にはいつも利己と利他がせめぎ合う。自分の直接的な欲求を満たす利己と、相手の欲求を叶える利他、相手を尊重したいという間接的な欲求は再び利己になる。利己と利他のような相反する両方を高みから見ることによって矛盾を解くことを止揚(アウフヘーベン)と言うが、サーシャとの別れを自分の中で理解できたのは「愛しているから別れる」という陳腐な台詞で表される止揚を哲学書で学んだからだった。

僕はリコからの別れを受け入れた。サーシャとの恋愛で、
「いかにして苦痛の感覚を理解という理性で和らげるか」
を学んだが、傷口が小さいうちに一層傷つくことから逃げたのも、深い傷を負ったサーシャとの恋愛から学んだことだった。サーシャをクライテリア(判断基準)にして恋愛に臆病になっていたのかも知れない。他所で得たクライテリアに捉われないことは聞こえは良いが、いつもゼロからのスタートを強いる。逆に自分なりのクライテリアを積み重ねることで人は大人への階梯を作って行く。

たった1ヶ月で僕とリコの恋愛は終わった。それは初夏の夜空に咲いた花火のような恋だった。(了)


5.花火
写真提供: みすりんさん




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