やっと最終回を迎えた「私の文章修行シリーズ」。興味が無い人は興味が無いし、興味がある人は興味がある内容である。(← それって当たり前じゃね?) とにかく「その4」では「段落」から「文章 (全体)」について情報をお届けする。
ほんとは「段落」が「その4」、「文章」が「その5」のつもりだったのだが、11/3(火)のアメリカ大統領選挙投票前にトランプ氏の出自について書きたいので、この記事で「文章修行」は終わりにする。渾身の総力取材の結果、トランプ氏がなぜ「売春宿のオヤジ」と揶揄されるのか明らかになった。トランプ記事を期待してお待ち頂きたい。← ちゃっかり宣伝しましたw
ということで「段落」の話。拙ブログの場合、改行で区切ったいくつかの文の固まりについて。
まず気をつけることは、ひとつの段落にはひとつの言いたいことが必ずあるということ。何が言いたいのかよく分からない段落を書かないことである。写真で言えば、何を撮りたかったのか分からない写真はダメである。また、あれもこれも1枚の写真に入れると意図がボケた写真になってしまう。それと同じで、ひとつの段落にひとつの意味があるようにする。出来ればひとつの段落をひと言で言い表せるようなキーワードを入れたい。それが出来なければひとつの簡単な文 (キーセンテンス) で言いたいことを表せるようにひと固まりの段落を作る。
このようにひとつの段落をキーワードやキーセンテンスでまとめらるように書くというのは、段落を読んで内容を理解することの逆作業にあたる。高校の現代国語の読解の授業で、
「いっかー? 段落をひとつ読んだら、何が書いてあったか立ち止まって考えるんだぞ」
と教師は言っていたはずだが、たいていの大人は忘れている。それは仕方ないが、ひとつひとつの段落を読者に分かりやすいように書くには若かりしあの頃を思い出してほしい。← 若かりしあの頃バカ彼氏とつきあってたなー。
「現国の授業は寝てたなー。なーんも覚えてないしぃ」
という人は思い出したくても思い出せないだろうが、このブログを読めば忘れたくても忘れられない思い出になるだろう。← ボクとの思い出ね♡
現国のテスト中に天井を見上げているのは、
「えっとー、この段落には何が書いてあったんだろう?」
と考えているデキる高校生である。テスト中に隣の席を見ているのはヤマがはずれてカンニングしている高校生である。テスト中に斜め前のJKの背中を見ているのは、
「ブラが透けててうれしいなぁ♡」
と良からぬことを考えてテストをあきらめた高校生である。← わ、ピンク♪
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とにかく長文読解ではひとつひとつの段落のキーワードやキーセンテンスを書き出して、自分なりのまとめを作ってから問題を見る。そうすると国語のテストの点数は80点になる。残りの20点は古文と漢文なので捨てて良い。
香炉峰 (こうろほう) の雪はすだれを掲げてこれを見る
回鍋肉 (ほいこうろう) の味は酢を垂らしてこれを食す
難関校の現国テスト問題はまとめを作ってこれを解く
問題を見てから長文の該当箇所を探してはいけない
と清少納言も言っている。古文を捨てた人は知らないだろうが確かである。こういった「段落のまとめ作業」をすれば文章を書くとき「段落がボケる」ことがないので、立ち止まって天井を見上げよう。← ブラを見るなよw
読んで段落の意味が分かる、分かりやすい段落を書けるようになったら、次は「段落と段落のつながり」に目を向けよう。段落を分かりやすくつなげる簡単な方法は、前の段落のキーワードを次の段落でも使うという「キーワード・チェーン」の方法である。上の5つの段落のキーワードは、
(1) 段落 → (2) 段落、キーワード → (3) キーワード、現国の読解 → (4) 現国のテスト -(段落 (3) からの続きで) → (5) 現国の読解、段落のまとめ作業のススメ (段落 (1) から (4) の結論)
となっていることが分かるだろう。このようにキーワードをつなげて行くと、分かりやすい文章 (いくつかの段落から出来ている大きな固まり) が書けることになる。
賢明な読者諸氏は上の段落のつながりを見て分かるだろうが、5つの段落は一本の大きな筋が通っているようでいて、(4) は脱線している。現国のテスト中にカンニングしてるだの、透けたブラを見て喜んでるだのの部分である。この段落 (4) はひとつ前の段落 (3) とつながっているが、ひとつ後の段落 (5) とはつながっていない。段落 (5) は「話を元に戻すと」ということで段落 (3) とつながっている。このように、脱線して話をふくらませるときは、上に向かって伸びる大きな樹の幹から枝葉が分かれるように書くと分かりやすい。つまり「文脈」に気をつけようという話である。← ちょっと難しいけどガマンしてね。
幹から枝葉が生えるのでなく、「どこから生えているか分からない枝葉」を唐突に持って来てはいけない。たとえば、
(1) 大坂本町、糸屋の娘
(2) 姉は十六、妹は十四
(3) 諸国大名は弓矢で殺す
(4) 糸屋の娘は目で殺す
という文章構成は (3) で話が飛んでいるので、読んでいる人は、
「えっ? 『大名は弓矢で殺す』っていきなり何の話?」
となってしまう。このような文章の流れ (文脈) が「枝葉がどこから生えているか分からない」という意味である。
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上の四行詩は小説で言うところの「起承転結」になっているが、「(3) 転」は「(4) 結」を読むまでなぜそんなことを言い出したのか分からない。だから枝葉 (幹・本筋と違う部分) を急に出してはいけない。あくまでも枝葉は幹からあとに (上に) 生えている形で段落をつなげたものが分かりやすい文章の流れ (文脈) である。「起承転結」にしたがって文章を構成することは小説や詩のような文芸作品では許されるが、何かを伝えるための分かりやすい文章を作るには適さない。なので、
「作文を起承転結で書いてはいけない」
というのがいまどきの作文の常識になっている。
幹から枝葉が生えるように書いた分かりやすい文章構成を、専門用語で「レゲットの樹」と呼ぶ。
「作文は『レゲットの樹』の文脈で書こう」
というのがいまどきの常識なのである。
文脈を考えずにコピペで文章を作ると意味不明になるのだが、いまどきの大学生はコピペで作ったレポートを提出することが多い。旧聞に属するが、STAP細胞で有名になった小保方晴子氏がそうだった。研究室に代々伝わる論文をコピペして自分の博士論文にする。早稲田大学の研究室ではそれがまかり通っていた。そんな習慣からSTAP細胞の論文をコピペだらけで書き (また嘘も書き)、雑誌 Nature に発表した。結果は理研の上司でありノーベル賞候補だった笹井芳樹氏の自殺である。罪を悔いた小保方氏は今は世を忍び、寵愛を受けた笹井氏に祈りを捧げながら残りの人生を送っているという。
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「レゲットの樹」にしたがって文章を書くならば、上の四行詩は、
(1) 糸屋の娘 → (2) 娘には姉と妹がいる → (4) 娘は目で殺す (ここまでが幹、本筋) → (3) 大名は弓矢で殺すのだが (これが枝葉、脱線部分)
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となる。なるのだが、面白くない。意見表明として分かりやすくても、文芸作品としてはつまらない。面白くするにはさらに続きを書く必要がある。ということで実践してみる。
昔、大坂本町の浪早に稲田屋という糸問屋があった。稲田屋にはおはるという娘がおり、おはるは歌を詠み、書を能くする利発な娘であった。おはるは聡明さの一方で、「十六の姉と十四の妹がおりまぁす」というオボこい物言いが愛らしい娘である。おはるの潤んだ瞳は人々を魅了してやまなかった。目で殺すとはまさにこのことである。ちょうど大名が弓矢を射るように、おはるの瞳は周りの人々の心を射抜くのだった。
おはるの評判は摂津藩国家老の笹木芳斎に届き、芳斎はおはるを藩主の側室に取り立てた。芳斎はおはるに何かと便宜を図り、二人は城中のみならず自然の中で互いの愛を発し表した。しかし藩主の側室と家老の許されぬ逢瀬は人々の口の端にのぼり、やがて藩主の知るところとなる。芳斎は不義密通の責めを負って自刃した。おはるは世を忍び、一生を仏門に捧げたのだった。
おはるの墓は芳斎と同じ須磨の寺にあり、墓石には歌が刻まれている。
すまのうら ただよふなみの ふねのごと
さいはてのよに ほをかけまほし
(須磨の浦の波に漂っている小舟のように、最果ての極楽浄土の世を進む舟に帆を掛けたいものだ)
おはるは極楽浄土での芳斎との恋愛成就を望んだのであった。(完)
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えっ? どのへんが文芸作品かって? 上の歌の頭文字、
「す」「た」「ふ」「さい」「ほを」
をつなげると…になるよねっ♪
ほんとは「段落」が「その4」、「文章」が「その5」のつもりだったのだが、11/3(火)のアメリカ大統領選挙投票前にトランプ氏の出自について書きたいので、この記事で「文章修行」は終わりにする。渾身の総力取材の結果、トランプ氏がなぜ「売春宿のオヤジ」と揶揄されるのか明らかになった。トランプ記事を期待してお待ち頂きたい。← ちゃっかり宣伝しましたw
ということで「段落」の話。拙ブログの場合、改行で区切ったいくつかの文の固まりについて。
まず気をつけることは、ひとつの段落にはひとつの言いたいことが必ずあるということ。何が言いたいのかよく分からない段落を書かないことである。写真で言えば、何を撮りたかったのか分からない写真はダメである。また、あれもこれも1枚の写真に入れると意図がボケた写真になってしまう。それと同じで、ひとつの段落にひとつの意味があるようにする。出来ればひとつの段落をひと言で言い表せるようなキーワードを入れたい。それが出来なければひとつの簡単な文 (キーセンテンス) で言いたいことを表せるようにひと固まりの段落を作る。
このようにひとつの段落をキーワードやキーセンテンスでまとめらるように書くというのは、段落を読んで内容を理解することの逆作業にあたる。高校の現代国語の読解の授業で、
「いっかー? 段落をひとつ読んだら、何が書いてあったか立ち止まって考えるんだぞ」
と教師は言っていたはずだが、たいていの大人は忘れている。それは仕方ないが、ひとつひとつの段落を読者に分かりやすいように書くには若かりしあの頃を思い出してほしい。← 若かりしあの頃バカ彼氏とつきあってたなー。
「現国の授業は寝てたなー。なーんも覚えてないしぃ」
という人は思い出したくても思い出せないだろうが、このブログを読めば忘れたくても忘れられない思い出になるだろう。← ボクとの思い出ね♡
現国のテスト中に天井を見上げているのは、
「えっとー、この段落には何が書いてあったんだろう?」
と考えているデキる高校生である。テスト中に隣の席を見ているのはヤマがはずれてカンニングしている高校生である。テスト中に斜め前のJKの背中を見ているのは、
「ブラが透けててうれしいなぁ♡」
と良からぬことを考えてテストをあきらめた高校生である。← わ、ピンク♪

とにかく長文読解ではひとつひとつの段落のキーワードやキーセンテンスを書き出して、自分なりのまとめを作ってから問題を見る。そうすると国語のテストの点数は80点になる。残りの20点は古文と漢文なので捨てて良い。
香炉峰 (こうろほう) の雪はすだれを掲げてこれを見る
回鍋肉 (ほいこうろう) の味は酢を垂らしてこれを食す
難関校の現国テスト問題はまとめを作ってこれを解く
問題を見てから長文の該当箇所を探してはいけない
と清少納言も言っている。古文を捨てた人は知らないだろうが確かである。こういった「段落のまとめ作業」をすれば文章を書くとき「段落がボケる」ことがないので、立ち止まって天井を見上げよう。← ブラを見るなよw
読んで段落の意味が分かる、分かりやすい段落を書けるようになったら、次は「段落と段落のつながり」に目を向けよう。段落を分かりやすくつなげる簡単な方法は、前の段落のキーワードを次の段落でも使うという「キーワード・チェーン」の方法である。上の5つの段落のキーワードは、
(1) 段落 → (2) 段落、キーワード → (3) キーワード、現国の読解 → (4) 現国のテスト -(段落 (3) からの続きで) → (5) 現国の読解、段落のまとめ作業のススメ (段落 (1) から (4) の結論)
となっていることが分かるだろう。このようにキーワードをつなげて行くと、分かりやすい文章 (いくつかの段落から出来ている大きな固まり) が書けることになる。
賢明な読者諸氏は上の段落のつながりを見て分かるだろうが、5つの段落は一本の大きな筋が通っているようでいて、(4) は脱線している。現国のテスト中にカンニングしてるだの、透けたブラを見て喜んでるだのの部分である。この段落 (4) はひとつ前の段落 (3) とつながっているが、ひとつ後の段落 (5) とはつながっていない。段落 (5) は「話を元に戻すと」ということで段落 (3) とつながっている。このように、脱線して話をふくらませるときは、上に向かって伸びる大きな樹の幹から枝葉が分かれるように書くと分かりやすい。つまり「文脈」に気をつけようという話である。← ちょっと難しいけどガマンしてね。
幹から枝葉が生えるのでなく、「どこから生えているか分からない枝葉」を唐突に持って来てはいけない。たとえば、
(1) 大坂本町、糸屋の娘
(2) 姉は十六、妹は十四
(3) 諸国大名は弓矢で殺す
(4) 糸屋の娘は目で殺す
という文章構成は (3) で話が飛んでいるので、読んでいる人は、
「えっ? 『大名は弓矢で殺す』っていきなり何の話?」
となってしまう。このような文章の流れ (文脈) が「枝葉がどこから生えているか分からない」という意味である。

上の四行詩は小説で言うところの「起承転結」になっているが、「(3) 転」は「(4) 結」を読むまでなぜそんなことを言い出したのか分からない。だから枝葉 (幹・本筋と違う部分) を急に出してはいけない。あくまでも枝葉は幹からあとに (上に) 生えている形で段落をつなげたものが分かりやすい文章の流れ (文脈) である。「起承転結」にしたがって文章を構成することは小説や詩のような文芸作品では許されるが、何かを伝えるための分かりやすい文章を作るには適さない。なので、
「作文を起承転結で書いてはいけない」
というのがいまどきの作文の常識になっている。
幹から枝葉が生えるように書いた分かりやすい文章構成を、専門用語で「レゲットの樹」と呼ぶ。
「作文は『レゲットの樹』の文脈で書こう」
というのがいまどきの常識なのである。
文脈を考えずにコピペで文章を作ると意味不明になるのだが、いまどきの大学生はコピペで作ったレポートを提出することが多い。旧聞に属するが、STAP細胞で有名になった小保方晴子氏がそうだった。研究室に代々伝わる論文をコピペして自分の博士論文にする。早稲田大学の研究室ではそれがまかり通っていた。そんな習慣からSTAP細胞の論文をコピペだらけで書き (また嘘も書き)、雑誌 Nature に発表した。結果は理研の上司でありノーベル賞候補だった笹井芳樹氏の自殺である。罪を悔いた小保方氏は今は世を忍び、寵愛を受けた笹井氏に祈りを捧げながら残りの人生を送っているという。

「レゲットの樹」にしたがって文章を書くならば、上の四行詩は、
(1) 糸屋の娘 → (2) 娘には姉と妹がいる → (4) 娘は目で殺す (ここまでが幹、本筋) → (3) 大名は弓矢で殺すのだが (これが枝葉、脱線部分)

となる。なるのだが、面白くない。意見表明として分かりやすくても、文芸作品としてはつまらない。面白くするにはさらに続きを書く必要がある。ということで実践してみる。
昔、大坂本町の浪早に稲田屋という糸問屋があった。稲田屋にはおはるという娘がおり、おはるは歌を詠み、書を能くする利発な娘であった。おはるは聡明さの一方で、「十六の姉と十四の妹がおりまぁす」というオボこい物言いが愛らしい娘である。おはるの潤んだ瞳は人々を魅了してやまなかった。目で殺すとはまさにこのことである。ちょうど大名が弓矢を射るように、おはるの瞳は周りの人々の心を射抜くのだった。
おはるの評判は摂津藩国家老の笹木芳斎に届き、芳斎はおはるを藩主の側室に取り立てた。芳斎はおはるに何かと便宜を図り、二人は城中のみならず自然の中で互いの愛を発し表した。しかし藩主の側室と家老の許されぬ逢瀬は人々の口の端にのぼり、やがて藩主の知るところとなる。芳斎は不義密通の責めを負って自刃した。おはるは世を忍び、一生を仏門に捧げたのだった。
おはるの墓は芳斎と同じ須磨の寺にあり、墓石には歌が刻まれている。
すまのうら ただよふなみの ふねのごと
さいはてのよに ほをかけまほし
(須磨の浦の波に漂っている小舟のように、最果ての極楽浄土の世を進む舟に帆を掛けたいものだ)
おはるは極楽浄土での芳斎との恋愛成就を望んだのであった。(完)

えっ? どのへんが文芸作品かって? 上の歌の頭文字、
「す」「た」「ふ」「さい」「ほを」
をつなげると…になるよねっ♪