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Channel: GIPSY☆TOSHI♭\(∂_∂)/♯の「る・る・る♪」(笑える・学べる・タメになる)
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【小説】4月になれば… ~エキスパートリーダーからカリスママネージャーになるための個人の適性~

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今日から4月。4月は受験生を新入生に変え、下級生を上級生に変える。学生時代はこの変わり身ぶりが顕著だが、4月は社会人にとっても人事異動や昇進の季節である。地位が人間を変えるというが、新たな地位でも変えることができない個人の適性というものもある。



1.入学


4月に入り、僕は中学生になった。中学受験で入ったその学校は、校区ごとに地元生徒に割り充てられた公立校と違って、生徒が県下各地から通って来ていた。このことは貧乏を恥じて肩身の狭い思いをしていた僕に隠れ蓑を与えてくれた。なかんずく本人の能力が物を言うのは勉強よりも部活などの運動であり、僕はバレーボール部に入ることを選んだ。ジャンプ一発ボールを相手コートに叩きつける上級生の雄姿を体育館で見て、
「僕もあんな風にかっこよくなりたい…」
とほぼ即断で入部を決めた。同じ思いを抱く生徒はたくさんいたようで、バレー部の新入部員は20人以上にのぼった。

大人になれば1歳や2歳の年の差はほとんど意味がないが、中学校を含む学生時代はこの年の差が実際よりもずっと大きく感じられる。1年生にとって2年生は絶対的な権力者であり、3年生はさらに雲の上の人のように思えてしまう。実際、1年生は2年生に顎で使われ、3年生には口すら聞いてもらえない。運動部の縦社会とはそういうものである。1年生は1学期の間、球拾い以外にはまともにボールを触らせてもらえず、延々と走り込みに明け暮れた。そのうち20人以上いた新入部員は一人また一人と辞めて行き、3年生が引退する夏休みには1年生は10人足らずになっていた。そうして残った1年生は夏休みになってやっとレシーブやトスの練習をすることを許された。

夏の練習は秋の新人戦に向けて2年生で構成される新チームのフォーメーションプレーがメインだった。試合形式の練習相手は控えの2年生に加え、代わる代わる指名された1年生がその役を果たす。1年生の中でも上達が早かった僕は常に試合形式の練習に入れられた。持ち前の運動神経・反射神経の良さで僕は、たとえば1年生の誰よりも先にフライングレシーブが出来るようになっていた。秋以降の大会でも僕はワンポイントの交代要員として2年生に交じって試合に出ることになった。そんなポジションで僕は中1から中2の1年を過ごした。


2.フライングレシーブ2


僕はやがて中2になり、中3が引退した夏、学年内で最も上手い選手として新チームのキャプテンに任命された。中2から中3の1年間、僕がセッターとして率いるチームは連戦連勝し、僕は他校の顧問教諭をして、
「セッターの頭脳的プレーとパス回しで負けた。」
と言わしめる有名選手になった。市の大会では常に準優勝の賞状を持ち帰り、県大会ではベスト4の実力を誇った。全国大会は県大会の優勝と準優勝の学校が出場するため、残念ながら出場できなかったが、十分満足が行くチームをキャプテンとして率いていた。

3年生の秋に中学のバレー部を引退した後は、高校のチームに入って練習をするのが中高一貫校のならわしだった。僕は何の迷いもなく中3から高校のチームに入って練習した。中学校では特に輝かしい戦績を残したわけだから、チームメンバー全員が高校のバレー部に入るものだと思っていた。しかし、僕以外のメンバーにとってはバレーを続けることは当然ではなく、高校の練習に参加したのは僕を含めてたったの2名だった。
「なぜ高校バレー部に入らないんだ? 中学校ではあんなに良い成績だったじゃないか?」
僕の説得に応じるメンバーはいなかった。僕自身は弱小高校バレー部に高2の夏まで参加し、9月からは大学受験の勉強を始めた。

ずっと後に大人になってから理解したのだが、キャプテンとして僕は魅力の少ない人間だった。チームメンバーの気持ちを掌握していなかった。中学校で僕がキャプテンに選ばれたのは単にバレーボールが上手かったからであって、人望やカリスマ性はまったくなかった。自分のチームが勝つことだけを考えて、控えのメンバーを思いやる余裕はなかった。一人黙々とピンチサーバーの練習をする控えメンバーの努力や、ワンポイントのブロッカーとしてジャンプの練習に励むメンバーの気持ちを分かっていなかった。スターティングメンバーに対してさえ、下手なプレーをしようものなら目を三角にして怒鳴りつけるばかりだった。プレーは上手いかも知れないが、暴君のような僕について来る人間はいなかった。


3.怒り


中高の部活でもビジネスでも同じだが、組織が上手く行くには適材適所が重要である。チームをまとめて先導するキャプテン、圧倒的な実力でメンバーの手本となるエース、キャプテンやエースに従って仕事を遂行する一般メンバー。この3者がそれぞれの職責を果たすことで組織は上手く行く。ビジネス用語でこの3者をマネージャー、リーダー、フォロワーと呼ぶことは以前の記事に書いた。

リーダー(名選手)が必ずしも良いマネージャー(監督)でないことは野球などのスポーツチームを見れば明らかである。プロ野球で言えば、巨人の長嶋茂雄氏や王貞治氏は現役時代、図抜けた成績を収めたが、監督としては当初トンデモぶりでチームを低迷させた。
「ボールがピューッと来たらこうパーッと打つんだっ!」
そんなアドバイスに選手は露頭に迷う。長嶋・王両氏ともその後の研鑽によって名監督になったが、どうやっても良きマネージャーになれないリーダーもいる。個人の志向性や素質が適性を決める。逆に現役時代、リーダーとして素晴らしい成績を挙げることができなかった選手が名監督になることもある。前の記事で書いた日本ハムの栗山英樹氏などがそうである。

自分がどのようなタイプであるかを知っておくことは将来設計のために重要である。たとえ勉学で優秀な成績を収められなくとも世話人として周囲の人間から頼られるのであればマネージャー(管理者)の才能があるかも知れない。成績抜群であってもうまく組織をまとめられないならマネージャーでなくリーダーとして道を究めるべきである。僕の場合、ちょっとばかりバレーボールが上手いからと言って、天狗になってチームメイトとの軋轢に気づいていなかった。キャプテンの器ではなかったのだ。もちろん、自分で限界を決めて能力を過小評価することは慎まなければいけないが、己の得手不得手を正しく認識した上で努力することが必要である。僕が中高バレー部の経験を通して思い知ったことは、自分の適性はマネージャーとして他者を管理することでなく、孤高のリーダーとして自分の道を究めるのが性分だということであった。


4.孤独の人



この記事を読んでくれている読者の中には今春、大学に合格し、「さあこれから方向性を定めよう」という人もいるだろう。変に自分を型にはめる必要はないが、これまでの学生生活の経験から自分の適性というものをしっかり見据え、正しい方向に努力して頂きたいと思う今日この頃、桜咲く頃である。




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